梨を「有りの実」といい、葦(あし)を「よし」と言うなど、ある特定の言葉をつかうことを忌み嫌って、その言葉の代わりにつかう言葉としての「忌みことば」は、非常に沢山あります。
一般に使われてきたもののうち、たとえば、「する(すりへる、すりへらす)」を忌み嫌って、「当たる」を代わりに使うものには、擂り鉢→当たり鉢 擂り粉木→当たり棒 硯箱→当たり箱 擂り身→当たり身 するめ→当たりめ、などがあります。
変わったものには、夕刻以後に使うもの(夜言葉)として、塩→波の花 糊→おひめさま 針→松の葉
正月に使う(正月言葉)として、寝る→稲積む ねずみ→嫁さま などがあります。
特殊な生業に使われたもののうち狩人が使う山言葉には、水→わっか 米→くさの実 くま→山のおやじ 馬→たかせ 犬→せた、などがあり、
漁師が使う沖言葉には 蛇→ながもの 鯨→えびす、などがあります。
次のような、いわゆる女房言葉にも、一種の忌みことばと見ることができます。
豆腐→おかべ(かべ) 強飯(こわめし)→おこわ 酢(すし)→すもじ 刺身→おつくり 土産物→おみや 杓子→しゃもじ 水→おひや 湯具→ゆもじ 便所→はばかり 歩く→おひろい 足→おみあし 腹→おなか 雨降り→おしめり
これらの女房言葉は、ことば自身のおもしろさ、楽しさも手伝って、今日のその多くが生き残っています。その出所とは無関係に、日常語として親しく使われています。不自然さ抵抗感のある、ズバリ忌みことばより、ナウイ(生まれた当時として)感覚も合ったのだと思います。
さらに、これはもう忌みことばというよりかは、隠語の部類に入るものでしょうが、お坊さんの間でつかわれた言葉です。
酒→般若湯(はんにゃとう) 鰻(うなぎ)→山の芋 蛸(たこ)→天蓋(てんがい) などには多分ユーモラスな趣が感じられます。例えば、「般若」は、仏教の言葉で「妄想をはなれて実相を達観する知恵」の意味ですが、その知恵をくらます飲み物、つまり「般若湯(はんにゃとう)」と言うことで、飲酒戒を破る後ろめたさを含んでいるようにも思います。
うなぎが「山の芋」となり、たこが「天蓋」となるに及んでは、思わず吹き出したくなるような愉快さを覚えます。人間性豊かなお坊さんも昔にはいたのでしょうね。
以上の例で感じ取られたこととは思いますが、日本人は、昔から言葉には本当に細かい神経を使ってきた人種なんです。この背景にはやはり、今でも伝えられているように言霊が大きな意味を持っています。言葉には不思議な力が宿っているという古代人の考えを受け継いできたものではないでしょうか。
今日においては、ただむやみに縁起を担ぐことはどうかと思われますが、やはり、人と人との心を正しくそして豊かに通わせるものとして言葉を大事に扱い、また、使う、聞き手の気持ちを思いやる態度は好ましい日本の伝統として、いつまでも守り、そして次世代に受け継いで行くと言うことは大切です。